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●塩味まんじゅう |
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塩味まんじゅうの由来
今は昔、赤穂藩主浅野内匠頭長矩公在世の折、新浜村に塩田を作られしが、之れ実に赤穂塩田の始めにして、
朝に夕に寄せては返す潮に映へる、山なす塩の白妙いと見事なるを見て、いつの頃にや塩味まんじゅうと名付
けて、広く世にひさぎし人あり。其の味素朴にして、塩あじよろしくまことに風流なり、とて勿ち赤穂の名物となる。
以後、時代を重ねて幾星霜、よく工夫をこらし、ついに天下の銘菓塩味まんじゅうとなりました。
「その風味四季に変せず、日数に堪えて而も味損ずることなく、茶前酒後にも適して妙なり」とて遠く帝京洛の
はてまでも囃さること赤穂義士の忠烈の誉に競ひて、永く此の世に残りました。
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| 塩味まんじゅう |
塩味まんじゅう6個入り |
塩味まんじゅう10個入り |
塩味まんじゅう15個入り |
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義士の國赤穂浪士は
事件の発端は元禄14年3月14日赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、
江戸城松の廊下で吉良上野介義央に斬りかかる事件がありました。
殿中で抜刀するというのは絶対的な禁止事項。事件を聞いた徳川
五代将軍綱吉は激怒、その日のうちに内匠頭に切腹を命じました。
又、赤穂藩が取りつぶされることになったことが次々と決まり、翌年
内蔵助ら47人の浪士が密かに集まり、吉良邸討ち入りを決め、
彼らは行動しました。12月14日深夜。討ち入り。参加者47名。
上野介は物陰に隠れているところを発見され、討ち取られます。
赤穂浪士一同はただちに泉岳寺の浅野家の墓の前に上野介の
首を捧げ、焼香。浪士は自首して出ました。
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